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【校長ブログ】『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(2021年10月20日)

「大人の凝り固まった常識を、子どもたちは軽く飛び越えていく。世界の縮図のような「元・底辺中学校」での日常を描く、落涙必至の等身大ノンフィクション。」

 ブレイディ みかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社 2019年)がさまざまな書評やテレビ番組などで話題になり、書店にこの黄色い表紙が並んでいるのをみても、なんとなく手に取る気分になれなかったのですが、図書館で借りて一気に読んでしまいました。

英国ブライトンに住む著者が、地元で「元底辺校」と呼ばれる中学校へ通う息子の目を通して描いたエッセイ。イギリス海峡に面している有数の海浜リゾートでもあるブライトンは、英国のイングランド南東部に位置する都市。この本を読んでいくと価値観がぐるんと変わるような気づきがいつもありました。

両親の出身国が違う人たち。東欧からの移民の人たち。里親に育てられる人たちなど多様な英国の状況。けれどこの本に登場する彼らは下など向いていません。問題に真正面からぶつかり、自分の行動はクールかアンクールかと自身に問うているのです。そんな強さが私にも欲しいと思いました。 

私は、英国の中学校教育の取組については、1988年以降の保守党サッチャー政権による教育改革で全国共通カリキュラムと全国一斉学力テストが実施されるようになったこと、公立学校では学校理事会に学校予算や教員の任免権等が与えられ、公立学校の運営が大きく変わったこと程度しか知りませんでした。

この本には、「地元民と移民が共存している地域で、人々がどのように暮らしているのか」が「元底辺中学校」での出来事を中心に描かれています。著者の息子さんは、地元の公立カトリック系トップ校に行くこともできたのですが、自由な校風で労働者階級の白人の子どもが多く通う公立の「元底辺校」に魅力を感じ、そこに通うことにしたのです。それには、母親である著者が、この「元底辺校」を一緒に見学した際に好感を抱いた影響もあったのではないか、とも述べられています。英国の公立中学校がいろいろな序列が形成されていることに改めてビックリしました。

子どもたちの「差別的な言動」に対する学校の対応や、授業の内容、水泳大会で目の当たりにした、公立校と私立校の違いなど、これだけ「格差を突き付けられる社会」で、子どもたちをどう育てていくべきか、読みながら考え込んでしまいました。

本の内容を抜粋すると、 

〇「学校は社会を映す鏡なので、常に生徒たちの間に格差は存在するものだ。」

〇「僕は、人間は人をいじめるのが好きなんじゃないと思う。……罰するのが好きなんだ」

この「いじめる」と「罰する」の違いについて、私はしばらく考えてみました。人間は、自分が悪者になる「いじめ」ではなく、絶対的に正しい立場として、誰かを「罰する」のが好きなのだという考えに妙に納得してしまいました。英国でも現場の先生たちや親たちは、さまざまな行動を通じて、子どもたちに「前向きに生きる力」「他人を思いやる気持ち」を植え付けようとしているのです。

この本では、ただ「問題点」だけが描かれているのではなくて、そんな中でも、力強く生きていこうとする子どもたちの姿が描かれています。こういうことを中学生が考えているんだなあ、と感心させられてばかりでしたし、「いろいろあるけど、若者たちの未来は、明るいのではないか」という気持ちになってくるのです。「何が正しくて何を大切に思い守るのか」という重要なヒントをもらった気がしました。

ちなみに、9月にブレイディ みかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』(新潮社 2021年)が発売されています。