ニュースリリース

【校長ブログ】東大教授が本気で伝えたい「歴史のおもしろさ」

 本郷和人氏の『歴史をなぜ学ぶのか』(SB新書 2022年)を読みました。本郷和人氏は、東京大学史料編纂所教授で、テレビの歴史番組などにコメンテーターとして活動されています。東京大学史料編纂所は、古代から明治維新期にいたる前近代日本史関係の史料を対象とする研究所です。国内外に所在する各種史料を収集・分析しています。本郷氏は、歴史研究者は自分でなければ語れないこと語るべきであり、それが歴史研究者のプライドであり、歴史研究者の腕の見せどころ考えている方です。

 本郷氏は、高校教科書の執筆に携わる機会を得て、教科書を作る側になって、客観的な事実に基づくことは大前提で、物語性の導入を一番の念頭に置き、原因があったら結果がある、因果が継起していく様子がわかるような教科書を理想としたそうです。ところが、高校の先生たちから「これは使えません」と言われたそうです。「本郷先生が書いたものはとても面白い。出来事の事情もよくわかる。けれど、無駄が多すぎる」と言われたそうです。「高校では授業で教科書に書いてあることは原則、すべて覚えろという教育を行っている、そうすると教科書に無駄があってはいけない」という高校教員の理屈の前に、高校教科書を作る情熱が萎んでいくのを感じたそうです。高校教育に携わる者として、ガックリとしました。

 本郷氏は、帰納的に考えることと演繹的に考えることの大切さを述べています。帰納法とは、史実のような様々な個別のデータを分析し、それぞれに共通するものや傾向を導き出して、歴史像を組み立てていく方法です。演繹法は歴史像から発想して、個別の史実を一つ一つ解釈し直す方法です。人間が物事を考えるということは、この帰納法と演繹法を繰り返して万度も物事を検証することの繰り返しです。本郷氏も帰納法と演繹法の循環は、「ああ、自分の考えは間違っているのかな?」「こっちの方がいいかもしれないな」と、自分の意見や考え方、物事の見方を鍛え直し、より良いもの、より正確なものに鍛えていく方法なのだと述べています。帰納法と演繹法のトレーニング、知的なトレーニングをやっておくということは、一般社会に出たときに決して損にはならないと本郷氏の考え方に私も同感です。堅苦しい本ではなく、テレビの解説のように「先の見えない時代にこそ、歴史を学ぶ意義がある」と熱く語っています。是非、ご一読ください。

 本書を読んでいて、東京大学名誉教授石井進先生がたびたび登場します。私は石井先生が、国立歴史民俗博物館館長だった時に、大学時代の恩師のご紹介でお会いし、高校における日本中世史の視点を丁寧に御指導いただいたのを覚えています。私には“学恩”という言葉にひたらせてくれた心温まる一冊でした。